
10月26日(金)
受付13:00~ 開会13:30~ 交流会 18:30~
「愛知における民主的美術運動歴史と課題」 塩沢哲弥氏(画家)
愛知における美術運動を担ってきた作家群像を紹介しながらその歴史と共通する課題を語っていただきます。
「現代のイマジネーション3.11以後」
パネラー 落合峯子(画家・京都) ・ 北野輝(美術評論家・奈良)・久保田勝巳(画家・岐阜) ・ 藤田日出男(画家・神奈川)
10月27日(土)
9:00~11:00 その後希望により現地フィールドワーク
3.11以後、自作を含む様々な作品を通して現代の課題に応えるイマジネーションの課題を話し合います
分散会, 6つの分散会に分かれて話し合います。
全体会
会場 : あいち健康プラザホテル
〒47O-2101 愛知県知多郡東浦町大字森岡字源吾山1-1
Tel 0562-82-0211 Fax0562-82-0239
宿泊は3人部屋、シングル希望者は2100円追加。6室まで。
定員:69名 *人数になり次第締め切ります。
参加費:11000円 一泊二食、 交流会費・資料代含む
■交通案内:
●JR名古屋駅から東海道本線大府駅まで13分、JR大府駅西ロから知多バス12分「あいち健康プラザ」下車
●名古屋の中心部から名古屋高速・知多半島道路を経由して自動車で約30分(大府東海ICから約10分)
(パネラー紹介)
落合峯子(画家・京都)
小学一年の頃、父が親戚の美大生と話しているのを聞いて、自分が絵を描くことが好きなのだと自覚した。中学生になり、美 術大学に行くためには進学校に入らなければと思った。高校一年生の時上野の都美術館にゴッホ展を見に行った。はじめて本物を見ることになった。東京芸大の 石膏デッサンを雑誌アトリエで見ていた。高校三年の時、夏期講習を受けに東京芸大に行った。
京都市立美術大学(現在芸術大学)に入り、基礎を学んだが、自分は一体どんな絵が描きたいのかわからなかった。大学三年 生の頃、日本美術会の林文雄氏の「美術は何を表現したか」(?)という本を読んだ。ピカソやケーテコルビィツについても知るようになった。日本美術会に入 会して多くの絵と評論を通して学びが深まったと感じる。
<略歴>
1942年岩手県宮古市生まれ。1965年京都市立美術大学西洋画科卒業(現京都芸術大学)。1967年新京都 美術展(現新美展)・日本アンデパンダン展。1980-1994年新美術協会展。1982-2003年パステル画個展。1983年第八回京都画廊フェス ティバル画廊連合会賞。2004年アヴィニヨン百藝祭美の栄華賞(フランス)。芸術世紀フェスティバル「創造の奇蹟展」美の異彩賞(デンマーク)。他、日 韓美術交流展、日本コーリア友好美術展平和を愛し、憲法九条を守る女性美術展、七曜星展。現在日本美術会会員、新美会員
久保田勝巳(画家・岐阜)
2011年3月11日は「あの日あの時を境に世界が変わった」(河北新報4/11付)日となった。人々の人生を支えてきたものが失われた一方で、生きる望みにつながる復興計画も定かでない日本政府に怒る。信頼できるのは人と人の絆であり、社会的な連帯である。
貧窮と孤独で悲しみや苦しみに耐えられない人は震災や原発の被災者ばかりでなく全国どこにでもみられるようになった。
この現実を看過することは出来ない。悲惨に追いこんだ者達を告発し、現実の状況から怒りを表明し、失意の底に落ちた人によりそって心の底から暖める作品を作りたい。
<略歴>
1936年生れ。197O年日本美術会入会。1983年画集「石灰と労働者の街・美濃赤坂」出版。2012年「自然と人間の復権を希求して」個展(銀座・松坂屋)
北野輝(評論家・奈良)
3.11によって引き起こされた未曾有の災厄は、表現者の意識と存在を揺さぶり、根底からの問い直しを迫るものだった。 同時に3.11とその後の事態は、創作・鑑賞に有形無形の緊張感や刺激や変化をもたらすとともに、あらたな課題をも突き付けているようにも見える。第65 回日本アンデパンダン展の中から3.11に応答したいくつかの作例を採り上げ、とりあえず考察してみたい。
<略歴>
1936年生まれ。2002年大学教員定年退職。(近著)「永井潔の反映論と芸術の仮象性」(『唯物論と現代』No.44、2010.6)。「戦争画の『芸術的』評価一横山大観の『富士図』と藤田嗣治の『死闘図』」(『季論21』第14号、2011年秋)
藤田日出男(画家・神奈川)
FUKUSHIMA(残された牛)
2011年3月11日の東日本大震災は日本に大きな衝撃を与えました。大地震、大津波、原発事故…。特に福島の原発事故 は人為的なもので日本列島に散在している原子力発電所は期限切れも多く、何処でも起こりうる事ではないでしょうか。テレビで放映された現場の状況、避難す る人々は痛々しい限りです。犠牲者は人間だけではありません。インターネットでは、豚・鶏・牛など多くの動物が飢えて死んでいます。原子力発電所がある限 り、人間も同様の道を辿るのではないでしょうか。
牛をとおし、その危険性を訴えていきたいと思った。制作過程で現地の惨状を目の当たりにしました。福島は、危険区域で入 れない事は当然ですが、女川原発も警戒がきびしく近づく事も出来ませんでした。牧場などに出かけ、スケッチなどはしましたが、痩せ衰えた牛・死んだ牛など はインターネットをくり返し見る事によりイメージしていきました。一枚の絵の中にすべてを表現することは出来ませんが、今回はモンタージュ形式で取り組ん でみました。
<略歴>
1944年東京に生まれ。1967年多摩美術大学油画科卒業。1984年より、ちがさき平和美術展開催、現在に至る。主体展に10年程出品、佳作3回。アンデパンダン展出品。個展多数。日本美術会会員、ちがさき平和美術展代表。