グローバル化時代の日本美術と民主的発展の課題

武居利史

 日本美術会が創立70 年を迎えた。これまで25 周年と50 周年に記念誌を出版しているが、今回の記念誌は20 年ぶりということになる。私は日本美術会の会員ではなかったが、日本美術会と関わるようになって約20年になる。この20 年間をふりかえりながら、私が感じてきた美術界の変化と日本美術会の役割について思うところを述べてみたい。
1 1990 年代からの私と日本美術会の関わり
 私が初めて日本アンデパンダン展を訪れたのは、1980 年代末だったと思う。日本全体がバブル景気に浮かれていた頃だ。東京藝術大学の芸術学科の学生だった私は、当時あまり盛んでもない学生運動に熱中し、美術学部学生自治会の執行委員をしていた。民主的美術団体というものに日本美術会があるという話を聞き、日本アンデパンダン展とはどのようなものなのだろうかと思って会場へ足を運んだ。私にとって展覧会といえば、美術館の企画展、ギャラリーの個展を観るのが普通で、公募展というものを観ることも少なかった。東京都美術館で観たその印象も、作品点数が多くて他の公募展とどう違うのかさえよくわからなかったように思う。
 1990 年の春先、私は友人たちと大学の枠を超えた美術学生交流会「アート・Fizz」を立ち上げた。この会はわずか2 年ほどで自然消滅したが、ここで知った友人を介して、日本美術会の作家とつながりができた。友人から講演会や研究会のようなものに誘われ、ときどき顔を出すようになる。初めに会った作家は、首藤教之氏だったような記憶がある。資本論を読む会があるというので、西良三郎氏の邸宅にもうかがった。1993年に大学を卒業した翌年、私は縁あって銀座の愛宕山画廊に勤務するようになった。これも偶然だが、愛宕山画廊はかつて、大野五郎・糸園和三郎・寺田政明・吉井忠のグループ展「樹展」を開いていた画廊で、吉井氏ら日本美術会の作家とも交流があった。
 その頃、私はアートプロデューサーを自称していたが、毎年東京都美術館で開かれる青年美術展の運営委員をしていた。1994 年11 月、青年美術展の関連企画「青年フォーラム」で木村勝明氏を交えて鼎談をする機会があった。若手の育成に力を入れていた木村氏の依頼により、翌年3 月の第48 回日本アンデパンダン展の関連企画、フォーラムMOVA のパネリストを引き受けることになった。当時まだ新しかったインスタレーション・スぺースで「新人たちのART の行方」と題して新進の作家や評論家らと討論をした。さらに翌年1996 年の第49 回日本アンデパンダン展では、青年美術展運営委員会の共同制作として、東京大空襲をテーマにしたインスタレーション《東京燃ゆ》を出品した。私の日本美術会との公式の交流の始まりは、この頃からである。
 私は学生運動をしていた関係から、「赤旗」文化部記者、山口泰二氏に声をかけられ、ときどき「赤旗」に美術館やギャラリーの展評を書くようになった。その山口氏の勧めで、第48 回、第49 回と続けて日本アンデパンダン展の展評を「赤旗」に書くことになった。その後、「赤旗」はもとより、日本アンデパンダン展実行委員会からも直接依頼があり、「批評と感想」にも展評を寄稿したことがある。もとより点数の多いアンデパンダン展を論評するのは骨が折れる。アンデパンダン展に限らず、この時期、大手新聞社は団体展の展評掲載をとりやめた。美術団体の公募展がアートシーンの中心だった時代は、名実ともに終わったと思った。私が勤めていた愛宕山画廊も28 年続いたが、1997 年暮れに銀座の店舗を閉め、いよいよ美術業界も変わりつつあると身をもって感じた。
 その後1998 年4 月に府中市に職を得て、美術館開設準備室に入ることになる。府中市美術館は、2000 年10月にオープンし、私は公立美術館の学芸員として活動するようになった。日本アンデパンダン展は、美術館員にとっては年度末のいつも忙しい時期に毎年開催されるため、展評の執筆依頼があっても辞退することが増えた。展評を書かなくなったのにはそういう裏事情もあるが、合間を縫って展示自体はだいたい観てきたし、『美術運動』からも依頼があれば、積極的に寄稿をするように努めてきた。
2 美術を民主主義の観点から考える唯一の集団
 私がまだ20 代だった1990 年代、どうすれば新しい美術運動を起こせるかということを真面目に考えていた。その過程で日本美術会とつながり、作家の方々とも知り合いが増えていった。今世紀に入ると、2001 年の新センター開館記念アートトーク「21 世紀の美術運動に何が可能か?」、2007 年広島での60 周年記念シンポジウム「創作・社会参加・平和―今、美術を考える―」、2011 年震災直後の国立新美術館で日本アンデパンダン展アートフォーラム「今こそアンデパンダン精神を!!―時代が求める表現とは―」など、重要な機会に度々トークイベントに登壇させてもらった。「民美」でレクチャーもした。会員作家の方とは、いろいろなところで接点があり、会外でもおつきあいさせていただいた。いま40 代後半となり、これまで日本美術会の親しい友人として関係が築けたことには感謝している。全国的な美術団体で、他にこういう関係になった団体はなく、私にとっても日本美術会は特別な存在だ。
 ではなぜ、そのような関係が持続しているかといえば、日本美術会の理念にあると思う。日本美術会は、美術団体としては珍しい民主主義というテーマを掲げる。会の趣旨にも、「日本美術の自由で民主的な発展とその新しい価値の創造を目的として運動する美術家・理論家の集まり」とある。私も基本的に賛同するし、協力はしたいと考える。「日本美術の自由で民主的な発展」というところがポイントで、「日本美術」のあり方と行く末を問題にしている。そもそも作家の自由や個性にもとづく創造活動をうたう美術団体は珍しくない。日本美術会が独特なのは、個人の集合が会の個性を作るというより、会の個性ある目的に賛同する作家の集っているということにある。とくに「民主的」とは、他の団体には見られないキーワードである。これは70 年間貫かれた会の美質であり、日本美術会は美術を民主主義という観点から考えている日本ではほぼ唯一の集団だといってよいだろう。
 会の趣旨には、「文化・美術界をはじめ、課題・要求を共にする広汎な人々や組織との交流・連帯」を記している点も重要である。これも美術団体では珍しい規定だろう。多くの美術団体は、自分たち美術家の制作と発表、研鑽や相互扶助のために集っているのが普通だからだ。まず「日本美術」の発展のために活動しているという意識はないだろう。ましてやそのような課題のため、他の個人や団体と共同するという考え方もほとんどない。作家の創造団体としては、他よりも一段高い目標を掲げているのだ。その一致した目標にもとづく共同という、外へと開かれた活動の姿勢が、私のような会外の人間とも連携する根拠となっているのだろう。
 こうした会の目的や性格はずっと大切にしてほしいと思う。美術の民主化などというと、文化行政が扱うようなテーマに思えるが、それは官展の復活に反対した結成当初のスタンスから来ていると思う。そして、それを美術関係者の自主的な活動として行ってきた点が重要なのだ。国家の権力に絡めとられてしまうのではなく、美術関係者の自主的、自発的、自律的な運動として、国民の側から国家に対しても民主主義を求めていく美術運動なのである。憲法で保障された「表現の自由」を守っていくこと、「戦争放棄」という恒久平和主義を貫いていくことも、日本美術会の大きな役割なのである。美術行政に対する提言のような活動はあまり盛んではないけれども、そのときどきの国や自治体の文化政策に日本美術会はもっと意見をあげていってもよいのではないかと思う。
3 グローバル化現象に直面する日本美術の課題
 さて、日本アンデパンダン展を20 年以上眺めてきて感じる変化とは、表現形式の多様化はもちろんのこと、参加者のアマチュア化傾向だろう。とくに趣味を究めようというシニアの活躍が目覚ましい。それは悪いことではないが、問題はプロ作家の減少である。創立当初の世代も亡くなり、看板を背負ってきたような作家も減ってきた。「青年のスペース」も面白い作品はあるが、若手作家が安定して成長しているようには見えない。アンデパンダンの趣旨に共鳴して新しい作家が出品することはあるようだが、会員となるにはハードルがあるようだ。会の担い手の高齢化は、他の美術団体でも共通する課題ではあるが、新しい世代の育成は今後も大きな課題であろう。
 しかし、取り巻く環境には前向きの変化もある。戦後美術史の見直しやインターネットの普及もあり、幸い日本美術会や日本アンデパンダン展に対する認知度は高まっているように思う。1990 年代まで、美術界に関する情報は必ずしもオープンではなかった。新聞・雑誌の報道、美術関係の人脈を通じた情報で判断せざるを得ないことが多かった。戦後美術史を学べる本も少なく、読売アンデパンダン展を評価する評論家はいても、日本アンデパンダン展を偏見で語る人も多くて、日本美術会はよく知られていなかったという感じがする。20 年前にくらべると、日本美術会と日本アンデパンダン展は、創立期の活動の再評価もあり、存在感はむしろ大きくなっている。
 そもそも日展を始めと団体展のシステムは日本独特のもので、日本美術の近代化の過程で形成されたものだ。美術界の最もナショナルな制度といってよいだろう。戦後これと並行、ときに対抗しながら、国公立の近代美術館のシステムができあがってきた。美術団体による公募展は、学校制度とも結びついて、いまだに根を張っている。けれども、1990 年代後半から、美術界に大きな変化が生じている。それは日本社会の構造改革の進展、美術のグローバル化と対応して、いわゆる「現代アート」が文化として浸透してきたことである。公募美術団体が、第1 の領域だとすれば、国公立美術館は第2 の領域であり、いずれもドメスティックな美術界として確立された。それに対して、この20 年で顕著になってきたのが、第3 の領域とでもいうべき、アートプロジェクトやアートフェアなどグローバルなアートシーンと連携した新しい美術の動きだ。
 反官展の運動から出発した日本美術会だが、その活動は第1 の領域によく適合していた。1970 年代ぐらいまでは、それなりに効果的な仕組みであったと思われる。ただ1980 年代以降、全国に建設された美術館がアートシーンを牽引する時代が到来し、美術団体の存在はやや後景に追いやられた。もともと日本美術会は運動体であるがゆえに、体制としての美術館とも相性がよくない面はあるが、近年、歴史的部分については美術館の関心の対象になってきている。そして現在直面しているのが、アートプロジェクトのような既存の美術制度の枠組みをこえて広がる「現代アート」の動向である。これとどう向き合うかが、問われている。
 「現代アート」は、形式も多様であり、制度の枠に収まらない点で「美術運動」のようでもある。それを反映してのことだろう、日本美術会の活動で変わってきたと思うのは、『美術運動』の誌面だろう。新しい執筆者を積極的に迎え、刻々と変化する美術全体の状況をとらえようとする意気込みを感じる。ウェブ版を作ったのもよいことだと思う。日本美術会のホームページは、この10 年間で充実した。これらはグローバル化の時代に必要な活動である。会員の組織でこうした活動を支えるのは苦労があると思うが、日本の美術運動の「公器」として自負する日本美術会ならではの活動であり、新しい情報の吸収と発信に大いに取り組んでほしいと思う。
 いま日本美術が直面しているのも、このグローバル化現象だと思う。そうした動きを肯定するにせよ、否定するにせよ、グローバルな視座なしに新しい日本美術の創造もない。表現の多様化だけでなく、価値観自体も多様化しており、従来のドメスティックな基準では美術をとらえ切れなくなっている。この20 年間で美術を取り巻く環境は、劇的に変ったのだ。日本アンデパンダン展もそれを反映しているだろうか。いま一度、この状況下で美術を民主主義の観点から考え直し、創造活動に活かさなければならない。そこにこそ日本美術会の役割もあるだろう。グローバルな視点から日本美術のあり方をとらえ直し、そこから民主的発展の課題を、理論的にも実践的にも明らかにする必要がある。

70kinen_02.jpg70kinen_03.jpg