国際交流史

 日本美術会・日本アンデパンダン展の国際交流は、社会主義への期待もあって、その初期からソビエト、東欧の社会主義国を中心に旺盛に行われた。
 国際交流展示は1950 年第3 回日本アンデパンダン展での特別陳列「中国木刻24 点、ドーミエ23 点、ゴヤ7 点、スタンラン4 点、ケーテ・コルヴィッツ5 点、アメリカ版画44 点、同ポスター4 点、ソビエト美術家生活写真43 点、ソビエト美術複製108 点」から始まった。
その後、1952 年5 回展では「ソビエト美術」、6 回展「世界7 ヶ国の平和ポスター」、1954 年にはピカソの「白い鳩」の複製権を正式に許諾され複製頒布を行った。8回展では「中国の最近の版画30 点、ソビエト・東ドイツ・チェコの児童画」、10 回展では日美10 周年記念で寄贈された作品「フランス5 点、アメリカ21 点、チェコ1 点、ルーマニア19 点の現代作品」、11 回展は「ドーミエ生誕150 年記念祭特陳」として「ドーミエ版画等50 点、メキシコ版画100 点、ポーランド・ソビエト版画17 点」と国際交流展示が続いた。
 1960 年代では1960 年13 回展「ケーテ・コルヴィッツ版画(オリジナル11 点、複製74 点)」、1962 年15回展「東独版画展29 名80 点」(目録別冊)、16 回展「ソビエト現代版画・水彩展184 点」(目録別冊)、17 回展「キューバ現代版画67 点・ポスター48 点」(目録別冊)、18 回展「東独代表的画家6 人の版画展121 点」(目録別冊)、19 回展「中国現代画展80 点」(目録別冊)、20 回展「ルーマニア現代版画水彩展89 点」(目録別冊)、21 回展「チェコスロバキア版画63 点」「ベトナム版画7 点」、1969 年22 回展「ベトナム民主共和国作品37 点」等が特別陳列された。
しばらく間をおき、1979 年32 回展「東独現代版画61 点」(目録別冊)、その後1987 年40 回展では「国際交流の歴史展」がおこなわれ、1990 年43 回展では「ニカラグア・ナイーブアート」を企画展示した。この時期、寄贈された海外の版画は会館の建設資金のために即売展などで頒布も行った。
 1962 年にはソビエトにおける日本現代美術展による総会の混乱もあり「真の国際交流とは」の見直しがされた。同時にこの年の15 回展「東独版画」特陳を経験し、会は国際交流における版画の有効性を再認識した。会には版画印刷機が導入され、版画講習会が開催されて会員の版画制作も旺盛で、日美の版画作品による海外展が開催できるようになった。東独への返礼展やルーマニア、キューバ等でも展示され、代表団の派遣など人的交流も行われた。海外での日本美術会展や作品交流を次に記す。
1963 年 日美版画展(東独)代表派遣:永井潔
1964 年 日美版画展(ルーマニア)派遣:伊藤和子
1965 年 日美版画展(キューバ)派遣:大成瓢吉・「中日青年文化大交流」中国招待 代表派遣:岡本博、落合茂、渡辺皓司
1967 年 東独「ケーテ・コルヴィッツ生誕 100 年」版画展・美術会議 派遣:谷内栄次、飯島俊一
1972 年 東独美術家同盟招待 派遣:小口一郎
1973 年 第10 回世界青年学生祭典(東独・ベルリン)派遣:石野泰之、平山克、直江啓示、吉見博、竹田正子
1976 年 「インターグラフィック’76 展」(東独美術家同盟主催)派遣:うえのたかし 
1981 年 日本・朝鮮友好親善美術展(朝鮮民主主義人民共和国・平壌)日本美術家代表団 日美代表:飯島俊一、藤原梵
1983 年 第9 回国際会議(東独造形美術家協会・ベルリン)派遣:うえのたかし1986 年 「インターグラフィック’87 展」(東独美術家同盟)日本美術会15 名 会員外3 名が出品
キューバとの交流           (渡辺皓司)
日本美術会とキューバの出逢いは1959 年のキューバ革命の5 年後のことで、第17 回日本アンデパンダン展の特陳「キューバ現代版画とハバナ宣言(‘60.9.20)連作」であった。それから時が流れ1986 年キューバ文芸作家同盟美術部と交流協定が調印されて、新しい美術交流が開かれた。相互に作品と代表1 名を交換する形がとられた。
 その後の経過は年表にゆずり、交流展は三度行われ、その第1回日本美術会展に私は代表として派遣された。
 1988 年3 月、私はキューバに出発したがその2 ヶ月前の1月、キューバ文芸作家同盟の大会があり、組織内の民主化と若返りが計られたという。人事は初めての選挙で行われ、若い30 ~ 40 歳代が選出され、訪問での会談はこの人たちと行われた。やりとりの中で彼等がよく口にしたのが「創造の自由」で、これまでの社会主義国のイメージを一変させられた。大会でのカストロの「創造の自由なき社会主義はありえない」との発言に心の高揚を得たようだ。文芸作家同盟美術部会員は当時200 余名で公認のプロ達。交流展で来日したネルソン・ドミンゲスをはじめ欧州やアフリカ、土着などの表現の流れの多様さと混合は、高度の質を備えたキユーバ美術の現状と読めた。また街の版画工房での美術学生たちの目の輝きや、画廊の展示作品も熱っぽさに飾らぬ作者の心が見えた。「国」の統制が見えぬ自由な動向に好感を持った。
 1991 年10 月、第2 回交流展に再度キューバを箕田源二郎代表と訪れた。キューバは経済的に大変な状態だった。ソ連と契約した輸入物資が思うように入荷せず、ガソリンも不足してバスの運行も滞るほどだった。そして私達が帰国した2 ヶ月後の12 月にソ連は崩壊したのである。
 それから25 年経った現在、私はキューバ美術の動向に疎い。25 年前の若返りのエリート達が「生活の保障が無ければ、真の創造の自由は発揮されない」と語った。芸術的ハングリー精神はその中でこそ発揮されるのだと言いたいのであろう。うらやましい話ではないか。
 若い頃、美術雑誌「みづえ」に紹介されたキューバの代表的作家ウイルフレド・ラムの作品に私は魅力を感じた。「ハバナ宣言連作」の中にもラムの作品があった。現地でも油絵の大作を見た。ヨーロッパでの体験とカリブの風の香りを感じる不思議な画面は今も魅力がある。ラムだけでなく多くの先達を追い、超え、新しいキューバ美術の展開をこの眼で確かめたいものだ。1964 年 第17 回日本アンデパンダン展特陳「キューバ現代版画、ポスター展」(版画67 点「ハバナ宣言」による連作39 点、ポスター48 点)
1986 年 日本美術会・キューバ文芸作家同盟との交流
協定調印(於キューバ 代表派遣:永井潔、冨田憲二)
1988 年 ・41 回展特陳「キューバ交流作品」40 名120 点(キューバ代表:パブロ・ボルヘス)
・第1 回日本美術会キューバ展(キューバ・ハバナ市)代表:渡辺皓司 訪問団12 名
・第6 回日本美術会展( 京都市美術館) 特陳「キューバ現代美術」
1989 年 キューバ大使館でマヌエル・メンディベ氏と懇談会に18 名参加     
1990 年 ・日本美術会・キューバUNEAC 美術部交流協定調印(’90~’92)
・第7 回日本美術会展( 京都市美術館) 特陳「現代キューバ版画展」
1991 年 ・44 回展「キューバ版画頒布会」
・第2 回日本美術会キューバ展(キューバ・ハバナ)出
品39 名 代表:箕田源二郎 訪問団14 名
1992 年 ・45 回展特陳「キューバ 現代美術」
・第8 回日本美術会展( 京都市美術館)  出品作家ネルソン・ドミンゲス来日
1996 年 第3 回日本美術会キューバ展( キューバ・ハバナ) 出品37 名 日美キューバ・メキシコツアー代表:吉田光正 訪問団会員9名他10 名    
・2 月 キューバ代表 E.Roca 氏歓迎交流会
日韓交流と国際活動の歩み 2001 ~ 2012(木村勝明)
 1991 年のソ連崩壊と東欧の民主革命と呼ばれる変革によって、日本美術会の1960 年代以後の社会主義国との美術交流への努力が限界に来、変わるべき新たな視野が求められて来た。
 10 年間の模索期間をへて木村が韓国公州の自然美術シンポジウムに1995 年に参加してYATOO(野投)を知り、日本留学中の李宣周(YATOO)も日本美術会に入会したことによって、1997 年98 年と日本アンデパンダン展でYatoo( 野投) とBaggat(場外)の資料展示、レクチャーを韓国から作家も招聘して実施した。その基礎の上に2001 年8 月に80 名を超える写生会を組織でき、地元韓国のYATOO や美術協会の後援を得られて、韓国公州への写生会を実現した。2002 年6 月にはW杯KOREA-JAPAN 記念の講演会を2 日にわたって実施し、パーティーも含め延べ230 人を集めた(韓国から著名な評論家を招く)。
 その年の11 月には「韓国の文化を深く味わう紅葉の旅」という韓国縦断の旅を実施、22 名が参加した。社会主義国への期待があった我が会の国際交流活動から、民主化した資本主義国の民間と民間の間で、隣国との文化交流という方向に、積極的に舵を切ったという事であった。もちろん、かっての植民地時代への反省もあった。そういう気持ちは多くの方が共有していたと思われる。こうした変わり方もその前の10 年間の世界史の大きな転換と激動を見てきた会員には、無理なく浸透し、講演会や韓国縦断の旅に参加してきたのではなかっただろうか。あれから10 年以上経過して客観化できる地点に来たと思う。
 2003 年には韓国光州市と、公州市で交流展が実現し、展覧会も大きなものとなり、韓国テレビ各局の取材もあった。(いずれも日本から10 名の人的交流を実現)
 その後、光州市は2006 年までだったが、公州市とは隔年相互に交流展と人的交流が実施された。
 10 年間で日本美術会(会外からも参加も含め)は延べ500 名余が出品。人的交流訪問者は、延べで100 名以上になった。会の歴史から言っても画期的な出来事だったと思われる。
 2013 年から日韓交流は会の有志によって作られたJAES が引き継ぐことになった。インターネット社会の影響と国際的な企画の取り組みが成果を上げ、その後に課題を残しつつも継続されている。
近年の国際交流
 1997 年50 回記念日本アンデパンダン展では、3 つの企画展示の一つとして「国際展 アジアの心とカリブの心」を開催し、韓国6 名、キューバ6 名の作品を展示し、欧米中心の現代美術展にない視野の広がりをみせた。
 2012 年65 回日本アンデパンダン展では企画展示「地の種」を開催し9 か国から28 名の参加があった。参加国はドイツ・イギリス・スペイン・ベルギー・モロッコ・ポーランド・キューバ・中国・韓国である。
 2015 年68 回展企画展示「第2 回 地の種」では参加国6 ヶ国、イギリス、インド、インドネシア、韓国、ドイツ、フランス/ 出品者16 名/作品点数42 点を集めて開催している。
 日本アンデパンダン展への海外からの一般出品は、2010 年63 回展にはスペインから29 名、韓国から7名があり、その後もスペインからは64 回展2 名、65回展20 名、66 回展6 名、67 回展〜69 回展は4 名と毎回続いている。        (まとめ 宮下 泉)