2018年12月22日(土)10:30~16:30
大正時代末にまさに世間を騒がせた「マヴォイスト」のひとり、若き村山知義(1901-1977)は、戦後、大衆的な小説家として予想もしないような成功に浴することになる。
1960年11月から1962年5月まで『赤旗』日曜版に連載した長編小説「忍びの者」が大きな評判を呼んだことである。現在、岩波現代文庫の5冊として出版されている。
今回、初期のベルリン滞在期の村山が、中欧の大都市で出会ったさまざまな芸術的な諸傾向がどのように日本へと移植され、先行する未来派美術協会との関係で、ダダ的な方向へと急激に加速させたことはすでに史実を踏まえて議論が試みられてきた。その後、演劇へと主要な関心を集中させ、やがてプロレタリア美術運動との関わりを深めるなか、「転向」へと至ることになる。それは、20世紀の最初の年に生まれ、表現者としてなんども屈折を余儀なくされた村山が、当人も予想しないような、はじめての大衆的な成功であつた。この長編は60歳前後の円熟期の村山の集大成という性格も備えていると考えられるが、いままで、そのことを正面から論じたことはあまりなかった。
1922年のベルリン時代の典型的な作例である《ニッディ・インペコーフェンによって踊られた『お気に召すまま』》は、村山知義が受容したさまざまな美術的影響を考えるときに、きわめてユニークな性格を備えているように思われる。まだ構成主義的な要素は明確ではないものの、ベルリンでの、あるいは、同時期の日本での、どのような美術表現とも隔絶した特異な作品というべきであろう。
わたしの話では、1922年のこの作品と1962年の小説と対置して、その懸隔と、そのあいだに密かに繋がるものを測りながら、村山知義における「大衆」の問題、そして、アンデパンダン形式の日本での最初の試みである中原実の画廊九段での「無選首都展」にも言及し、美術展というものが「大衆」との関わりを持とうとした1934年の東京堂画廊での「版画アンデバンダン展」にも触れてみたい。
45年の短い生涯のあいだに膨大な仕事をした柳瀬正夢。油彩、水彩、素描など絵画、漫画や挿絵、ポスターのデザインや本の雑誌の装慎、あるいは演劇や写真とのかかわりといった幅広い領域にまたがる多面性が、この多才な作家の仕事を特徴づけている。美術館でたびたび開かれてきた回顧展は、そうした多様性の紹介に重点をおいてきた。
しかし、同時にその多様性に一貫するものは何であるのかを見定めなければ、作家の全貌をとらえることも難しいだろう。多くの画家が作品群を一堂に展観することで見渡せるのとは異なり、柳瀬の場合には一つひとつの作品がその時代の中でどのように機能したかを想像しつつ見なければ、その魅力を十分に味わうことができない。それはその時代の中で生きた芸術表現でもあるからだ。
多様な作品を通して浮かびあがるのは、芸術活動を通して、社会と向きあい、時代を開くという作家の生き方である。芸術による社会変革を志向したという点で、体制の権威と結びついた美術のあり方、アカデミズムとは対極にある。今日あえていうなら、アート・アクティヴィズムともいえる、作家の態度だろう。それは表現活動を通して市民の公共圏を獲得していく営みであり、メディア自体の創造もその範疇に入る。
柳瀬は、プロレタリア美術の団体に所属はしたが、プロレタリア美術展には出品していない。若いとき公募展に出品もしたが、未来派、マヴォ、三科展を経て、会場芸術にひとまず見切りをつけ、漫画やデザインのような複製芸術の世界にさらなる可能性を見出していった。新聞や雑誌での活動を中心にすえることで、もっとも社会的な影響力を持ちえたのである。それは同時に表現を規制する国家権力とのたたかいでもあった。
多様なメディアを舞台とするアクティヴィズムは、今日珍しいものではなく、現代美術では大きな潮流でもある。柳瀬の仕事を、近代美術の枠組みで整理し直すのではなく、現代的な視点から、現実世界においてコミュニケーションを成立させる行為の芸術としてとらえ直すことが重要ではないだろうか。どちらかといえば近年は、柳瀬の政治的、思想的な表現を古くさいものとして低く見る傾向が続いてきたが、むしろそこにこそ新しさがあるように思う。
柳瀬が社会主義的な無産階級の解放運動へと向かう上で、1923年9月の関東大震災は大きな役割を果たした。2011年3月の東日本大震災の記憶もまだ生々しい私たちにとって、そうした体験の切実さは理解しやすいものとなっている。二つの震災と復興の時代を照らし合わせながら、柳瀬という作家が、新たな複製芸術による表現の探究を通じて、何とたたかおうとしたのかという問題について考えてみたい。
日 程
10月12日(日)10:20開会(10:00受付)
<講演(映像)と討論> 10:20-15:50
上野氏は、芸術の歴史を見ていく上で、次のように指摘します。
●過去の歴史から学んで今後の糧にすると言っても、過去は現在からみられたもので、現在の立脚点がどのようであるかによって過去の姿が変わる。また、未来も現在から発して作られて行く以外に無い。
●現在は人が過去を一応否定して、新たな時代を作り上げてきた結果である。創造とは、古い形式が歴史的な内容をもはや包みきれなくなつた時に求められる活動で、脱皮のように成長する。でもそれは、美術では単純に古い形態を捨て去ることではない。
そして、「美術の表現手段について」、「美術の形式と内容について」、「美術の自由と発展について」話はすすみ、
●今日真の歴史的創造では、どのような内容を表現するのか?ヒューマニズムを踏まえた人間観、社会観、世界観を持って、危機と標された現実を正確に深く把握することが歴史の進むべき方向=未来を見出す鍵であろう。これは新しい価値を求めること、理想を求めることとも言えるだろう。と強調し、その一助として西洋の中世美術の一端を紹介します。
コーディネーター:木村勝明(インスタレーション作家)
質疑・討論 11:30-12:00
<昼休み>
北野輝氏は、●「戦争する国」「企業が世界一活動しやすい国」づくりを目指す強権的な安倍政権によって、日本はいま戦後民主主義最大の危機に直面している。この「危機」は日本一国のことにとどまらず、地球規模、人類史的規模である。
と警鐘をならし、危機打開の可能性、希望はどこにあるか。と問題提起し、とりわけ反原発などの運動に見られる「中核を持たない多元主義的連帯」や、日本美術会の創立宣言にある「党派流派を超えた大結集」の立場の大切さを再確認します。そして、
●日本アンデバンダン展の歴史的歩みを大局的に見て、表現の「多様性」(~1970年代)から「多元性」(1980年代~)へと転じてきた。とし、その上で、
●3.11とその後の過酷な事態は、美術の限界と可能性や表現の多面性等を垣間見せたこと、さらには、美術存立の可能性を揺さぶりつつこれまでの対応力を越えたものとして表現者の前に立ちはだかっていること、過酷な現実に対応するイメージ形成のあり方が問われたり、完成度の高い作品世界が現実や内面の実相(深層)に届ききれずに自己完結してはいないかと、問いかけます。そして、●「多元主義的連帯」を体現する展覧会として、アンデバンダン展のあり方を根本的に再検討する必要にも迫られているのではないかと指摘します。
コーディネーター:宮下泉(洋画家)
質疑・討論 13:50-14:20
休憩 14:20-14:30
荒木氏は、現代における感性の変容について、
●新自由主義と情報化社会のなかで、感性が劇的に変容している-仮想現実と現実の境界の融解と語り、真実をほんとうに見ぬくには
●1.「自分の頭で考え、意味を問う」
2.「突き放してみる」
3.「我がコトとしてみる」
4.「論理的に考える」
ことの大切さを指摘します。
そして、
「突き放し、距離を置いて。冷静に、ごまかさないで見ると、日本のなにが見えてくるか?を問うなかで、
●誰のために、なにを、どう表現するか?
として、次の諸点をあげ、現代美術の失敗と危機を語ります。
●1.「主題芸術、目的芸術を救いだす」
2.「美意識の拠点としての市民と地域内発性」
3.越境表現とコラボレーションの可能性」
4.「批判的電脳芸術の可能性」
5.「リアリズムの新しい展開」
6.批評の再構築
コーディネーター:稲井田勇二(日本画家)
休憩 15:50-16:00
<まとめの討論>16:00-16:45
(総合司会:川原康男、山口さざ子)
<懇親会>17:00-9Fアトリエにて 参加費無料
日本美術会事務所 ●JR御茶ノ水駅下車徒歩5分 ●東京メトロ丸の内線御茶ノ水駅下車4分 ●東京メトロ干代田線新御茶ノ水駅下車7分
申込み
◎下記事項を記入し、日美事務局までファックスまたは郵送してください。
◎参加費1000円は郵便振込で早めに納入をお願いします。
◎振込み確認次第参加券をお送りします。
*昼食弁当は、500円ワンコインで、お茶付き(サービス)です。
*当日の販売や申し込みはありません。
〒113-0034東京都文京区湯島2-4-4 平和と労働センター内
Tel 03-5842-5665 Fax 03-5842-5666
郵便振替 00160-7-85881 日本美術会