1946.1
松本竣介「全日本美術家に諮る」
1946.4.3
仮称「日本美術会」創立総会へのよびかけ作家・評論家88名連名
永井 潔
鳥居敏文
松本竣介
村田勝四郎
林 武
伊吹英次
岩田彌光
小川勝威
硲伊之助
堀 文子
加山四郎
赤堀佐兵
松山文雄
津田青楓
橋浦泰雄
大澤昌介
新海竹威
岡鹿之助
児島善三郎
植村鷹千代
内田 巌
上野省策
角田宇多
辻 晋堂
新居広治
林 左門
塚原清一
菊地一雄
野口彌太郎
清水多喜示
入江弘
林兵治
柴田安子
近藤光紀
高森捷三
北條少苗
別府貫一郎
木村荘八
村雲大樸子
林 武
山内壮夫
中川一政
斎藤長三
小林三季
鈴木新夫
中川藤一郎
木材量夫
牧田久義
福澤一郎
大田富貴子
後藤禎二
井出則雄
小野忠重
永見譲治
難波田龍起
土佐林豊夫
林 文雄
岡本唐貴
杉浦 茂
乗川 實
山口 薫
大月源二
赤松俊子
島 幸二
青柳暢夫
本郷 新
河上左京
村井正誠
加藤顕清
内堀 勉
柳原義達
宮地寅彦
堀田清治
井上長三郎
糸園和三郎
野崎外喜男
杉本 博
芥川 永
丸木位里
富樫正雄
福島金一郎
竹谷富士雄
中島健蔵
内田武夫
1946.4.21
創立総会①綱領・規約 採択自由学園講堂(目白)
1946.5
「会報」創刊号創立総会(大会)の報告掲載
ガリ切り:永井潔 印刷:柴田安子・堀文子(会報93「49展講演会 永井潔」)
1946.6.3
官展についての「建白書」を文部省へ手交 日本美術界全体の民主化を願って
1946.6
第1回職美展
(東京職美協)
日本美術会は「職美展」を全面的に支援。
当初、日本美術会に審査員の派遣要請があったが、審査そのものがなくなった。
第10回展ポスター
1946.6~9
戦争責任の追及 世論調査
美術界戦争責任に関する世論調査(アンケート)23名回答
松本竣介の回答書
1946.9
日展問題に関する声明
(日展改革の不充分さへの抗議と新しい展覧会方式「連合展」「自由出品展」の提唱)
1947.1.20
「美術運動」創刊
1947年秋
第1回日本アンデパンダン展「宣言」
宣言
日本美術発展の歴史的途上において、その民主的生長をはばんでいた一切の封建的機構や党派的派閥性は、今日もなお、あらゆるしつこくの中に自由を奪い、美術家大衆の民主的自覚を鈍らせている。
この現状がもたらす、文化的混乱とたいはいを食い止め、美術及び美術家の解放と発展のため、われわれは、何等の党派流派の拘束なき、真に自由な作品発表機関の設置を痛感し、ここに第1回日本アンデパンダン展を開催する。
1947年秋 日本美術会
展覧会委員(アイウエオ順)
赤松俊子
朝木良之助
阿部展久
市村三男三
入江 弘
井手則雄
井上長三郎
内田 巌
上野省策
岡本唐貴
荻須高徳
大塚 睦
大月源治
大須賀力
大澤昌助
小野忠重
川口軌外
加藤顕正
加山四郎
菊地一夫
木村荘八
桑原 実
後藤禎二
齋藤長三
佐田 勝
清水錬徳
清水多嘉示
新海竹蔵
須田国太郎
鈴木賢治
杉全 直
杉本 博
田中義三
高森捷三
津田青楓
辻 晋堂
寺内萬治郎
鳥居敏文
鳥海靑児
中村善策
中川一政
難波田龍起
永見譲治
永井 潔
野口弥太郎
硲伊之助
長谷川路可
早川巍一郎
林 武
服部正一郎
福田豊四郎
福澤一郎
本郷 新
堀田清治
丸木位里
松山文雄
松本俊介
三雲祥之助
村井正誠
村雲大樸子
村田勝四郎
安井曽太郎
山口 薫
矢部友衛
山内荘夫
柳原義達
植村鷹千代
江川和彦
木村重夫
久保貞次郎
佐波 甫
鈴木 進
田中一松
田近憲三
中島健蔵
土方定一
林 文雄
(注:大月源治は大月源二の誤植と思われる)
1947.12
第1回日本アンデパンダン展12/9~18
佐田勝「廃砲1」
佐田勝「廃砲2」
1948.11
第2回日本アンデパンダン展11/22~12/16
特別陳列: 戦争犠牲作家15名の作品
内田巌「歌声よ起これ(文化を守る人々)」
1948.11
第2回日本アンデパンダン展11/22~12/16
井上長三郎「漂流」
本郷新「瀕死のキリスト」
第2回日本アンデパンダン展東京都美術館階段にて
1949.2
「日美会館」建設へ(新宿・歌舞伎町)
1949.2 新宿・歌舞伎町
地球座横 30坪
(武内一歩堂(画材屋)借地)
会館建設を決定 建設委員会設置
募金・絵画物納即売展
.7 建設会社と契約
.8 地鎮祭
.11 上棟
【建設資金が集まらず】
【1949.7.4国鉄第1次人員整理】
【1949.7.5下山事件】
【1949.7.15三鷹事件】
【1949.8.17松川事件】
【1949レッドパージ】
【1950.6朝鮮戦争勃発】
1949.12
「BBBB」誌創刊(6号で廃刊)