日本美術会
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民美50年
日本美術会のあゆみ2
反動攻勢のなかで 1950年~1956年
1950.2
第3回日本アンデパンダン展目録 会員名簿 15支部 会員800名
15支部
東京
神奈川
北関東
大阪 京都
神戸 奈良
北海道
盛岡 一関
長野 福井
鳥取 松江
九州
1950.2
第3回日本アンデパンダン展 2/8~17
丸木位里・赤松俊子 「八月六日」 (後原爆の図 第1部「幽霊」)
1950.2
第3回日本アンデパンダン展 2/8~17
永井潔「母」
新居広治「高萩にて」
1950.11
第4回日美大会 11/23
【大会報告】
・朝鮮動乱以後の反動攻勢激化
・1949~50年レッドパージ
・特需産業以外の経済界の危機
・進歩的美術会の危機
・会館問題
・BBBB6号で休刊
◍美術におけるヒューマニズムの擁護
◍美術における正しい意味での国際主義の主唱
1951.2
第4回日本アンデパンダン展 2/5~14
鶴岡政男「重い手」
勅使河原宏「サイレン島」
山下菊二「オト・オテム」
1951.2
第4回日本アンデパンダン展 2/5~14
高柳博也「家なき人々(上野地下道1950年)」
矢部友衛「平和署名」
1951.9
美術運動「ピカソ特集」臨時増刊号を発行 9/10
1952.2
第5回日本アンデパンダン展 2/3~14
上原二郎「戦線にて」
桜井誠「トラワレタ人」
1952.6
平和のための美術展―平和展はじまる―
・第5回日美大会
1952.2.13
戦争の危機に直面して
〇平和のための美術展
〇地方アンデパンダン展の開催を提唱
「平和のための美術展」
1952.6.2~13 東京都美術館
主催:平和のための美術展委員会
後援:日本文化人会議・
日本平和推進国民会議・
平和擁護日本委員会・総評・産別・
基督者平和を守る会・都教職員組合・
各婦人平和団体
1953.2
第6回日本アンデパンダン展 2/22~3/5
森芳雄「煙突と人」
桂川寛「小河内村・沈む村」
浜田知明「初年兵哀歌」
1953.2
第6回日本アンデパンダン展 2/22~3/5
新海覚雄「独立はしたが」
難波田龍起「建物構成(工場街)」
1954.2
第7回日本アンデパンダン展 2/21~3/2
箕田源二郎「内灘」
利根山光人「うず」
倉石隆「画室」
池田龍雄「犠牲者(鮫と横たわる人)」
1955.2
第8回日本アンデパンダン展2/2~14
佐藤哲三「みぞれ」
中谷泰「嫁」
池田満寿夫「骨を持つ人」
粟津潔「海を返せ(ポスター)」
1955.9
日美会館(新宿)調停成立 会館は幻に
1949.2 会館建設を決定
【建設資金が集まらず】
【1950.6朝鮮戦争勃発】
1951.9 武内一歩堂建物占拠
10 臨時大会裁判闘争決定
1952.3~9 調停開始・決裂・本訴
1953 証人調継続
1954.2 日美大会早期解決へ
1955.2 日美大会早期解決確認
9 調停成立
和解金を受取り建物の
権利を放棄
1956.2第8回日美大会
会館建設の総括
1956.2
第9回日本アンデパンダン展 2/2~14
井手則雄「壺井繁治の像」
中村宏「砂川五番」
金野新一「落盤」
岡本実「沿海地方」
まつやまふみお「ダレスとカラス」
1956.2
第8回日美大会 2/10・14
<会組織の再建に向けて>
1.「綱領」から「趣旨」へ
会の目的と性格の確認
綱領の改正を提案
文案は委員会へ委託。
2.支部制廃止・代議員制の廃止
大会(代議員制)から
総会(全会員参加)へ
3.「日美会館建設」の総括
計画の夢想性、戦後の民主主義ブーム
自力の過信
活動拠点は継続して追求
4.「全会員の再登録」
支部機能喪失、会費未納・財政危機
全会員の再登録